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仏迫の板碑(鹿児島市田上町)

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写真: 仏迫の板碑(鹿児島市田上町)

写真: 西之谷墓地移転に伴う碑文 鹿児島 写真: ロシア皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑

鹿児島市立田上小学校裏の田上町仏迫の板碑。
以下、「鹿児島市西部の歴史」四元幸夫著 P192 より引用。
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 この板碑は、毘沙門天堂の前、丘下にある。凝灰岩で、高さ九三.五センチ、幅は上が三十センチ、下が三十八センチ、厚さ十センチで、山形の頭部に二条線はなく、五輪塔婆を陽刻してある。下方に蓮弁を彫刻してあるが、摩滅して不明確。頭部は三角にして一条の溝をもち、身部に五輪塔婆を彫ってある。年代不詳であるが、江戸時代のものと思われる。純然たる板碑ではない。板碑に模して作られ、二条の線がないからである。
 板碑は、頭部を三角の山形に作り、その下に二条の溝をつけ、身部には信仰の仏種子(梵字)又は仏像、仏号等を彫し、像立趣旨、年月日等を刻した板石状の卒塔婆である。供養塔婆であって墓石ではない。
 板碑は、鎌倉時代から江戸時代初期の慶長年代のころまでに造られた。理由は、はっきりしないが、簡単で造立し易く費用もかからぬ。願文、仏像、五輪塔など刻み易いので、武士階級に広く普及した。分布は県下全域に及んでいる。

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