ヘルプ

金剛寺・食堂3

写真: 金剛寺・食堂3

写真: 南朝行在所 写真: 金剛寺・盃状穴

金剛寺は天野行宮とも呼ばれ 南朝の後村上天皇が正平9~14年(1354~59)まで ここを正庁とされ政治を執られました。正面右に「天野殿 南朝六年間常御殿」の碑があります。

アルバム: 公開

タグ: 金剛寺

お気に入り (12)

12人がお気に入りに入れています

コメント (2)

  • キューチャン

    行宮って臨時・暫定の御所というようなことだそうですね。
    ここに置かれる前の1年間ほどは石清水八幡宮に行宮が置かれてたのだとか・・・
    知らんかったー、いろんなことに使われてるお宮さんです。
    南朝と言えば、四条畷の方に通学してて刷り込まれたこともあり、後村上天皇より家来の小楠公の方がすっと思い浮かびますけど、河内長野市の音頭で多くの自治体を巻き込んで楠公親子の大河ドラマへの誘致運動やってるんですね。あったら面白いと思うけど、今は帝に仕える体で実権握ってる方々がヒーロー・ヒロインのご時勢、帝に忠臣尽くしても流行らんやろなぁ、という気もします。

    2024年5月11日 02:37 キューチャン (36)

  • kame

    キューチャンさん、この日は四条畷から来たグループの方々をお見掛けしました。河内長野周辺と四条畷は南朝びいきのメッカですね。あと、JR島本駅の近くの桜井の別れの碑にはボランティアガイドさんが常駐してるようでした。忠臣という点では忠臣蔵と同じなので日本人の心の琴線に触れるのでしょうね。
    楠公さんの方は軍国主義とセットになってしまったので今は日陰者ですがが 時代が変わって そんなこと知らない若い世代が中心になると またヒットするかも・・(アメリカでもナチスの蛮行を知らない若者中心に反イスラエルらしいしー)

    2024年5月12日 08:05 kame (12)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。